ライバル:パウ・ガソル
01 10月 2008
2006 年、パウ・ガソル率いるスペイン代表は世界に衝撃を与えました。 2008 年、その再現はなるのでしょうか。
FIBA に加盟して以来、スペインはヨーロッパでは圧倒的な力を示してきました。 ユーロバスケットに 16 回出場し、うち 8 回は 3 位以上であり、ヨーロッパレベルでの強さを証明してきました。 しかし世界レベルの大会では苦しんでいます。
世界大会で連続して敗退しているスペインが、強力なリーダーを必要としているのは明らかでした。 コート内外でチームをまとめる存在であり、 選手に対してだけでなく、救世主を必要としている国民に対しても希望を与えられるような人物です。
パウ・ガソルこそ、その救世主でした。
2004 年のアテネ大会で、パウの名前は世界で大々的に知られるようになりました。 パウは新世代のスペイン人スター選手の筆頭であり、彼のプレーは革新的でした。 2 メートル 13 センチの長身にもかかわらず、スモールフォワード並の動きを見せ、左右両方の手で巧みにボールを扱い、フリーのジャンプシュートを確実に決めます。 ジュニアユーロ選手権、ジュニア世界選手権、ユーロ選手権、FIBA 世界選手権ではすでにスペインに 3 位以上の栄冠をもたらしていました。 パウがそれまでに収めた成功を考えれば、スペインの 3 位以上は保証されたも同然でした。
しかしアテネ大会では、国民の期待は高かったものの、スペイン代表はあまりにも多くの障害に直面していました。 大会に参加した 12 チーム中、スペイン代表は 7 位と振るいませんでした。
パウ・ガソル率いるスペイン代表が次にチャンスを与えられたのは、2006 FIBA 世界選手権でした。
パウは、大会初戦からチームに勢いをもたらす活躍を見せ、1 試合平均 21.3 得点、9.4 リバウンドを記録しました。 スペインは快進撃を続け、準決勝では世界王者のアルゼンチンと対戦しました。これは、もっとも印象に残る試合となりました。
試合終了まで残り 1 分のところで、パウは足を骨折。 チームはショックを受けましたが素早く立ち直り、75-74 で粘り勝ちしました。 そしてその 2 日後、スペインはリーダーを欠きながらも、ヨーロッパのライバルであるギリシャに勝利し、世界王者に輝きました。
パウは大会 MVP を受賞しました。
「今日はチームメイトが素晴らしい試合をしてくれた」とパウはコメントしました。 「チームが 1 つになって、ハートのこもった試合をした。 自分が出場できなかったのは残念だ。 もっと悔しい思いをするかと思ったけど、僕がいなくてもチームがあれだけの試合を見せてくれたのがとにかく嬉しい」
世界王者の座を北京大会でも守りたいスペインは、すべての期待がパウにかけられています。 ロサンゼルス・レイカーズでの 1 シーズン目の活躍を見る限りでは、準備万端だと言えるでしょう。
シーズン途中にパウはレイカーズにトレードされ、賛否両論を呼びましたが、彼の活躍が引き金となり、レイカーズは中位からトップに躍り出ました。 彼は、第 2 の得点源になり得る、レベルの高い、安定したローポストマンを必要としていたチームにとっては最適な選手でした。 試合の勝敗を左右するようなリバウンドを取ったり、ローポストからのシュートを確実に決めるだけでなく、コービーとの素晴らしいコンビネーションを発揮し、大量の得点をチームにもたらしました。
パウがいなければレイカーズはファイナルまで進出できなかったかもしれません。
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